2012年10月7日日曜日

途上国×技術×キャリア その2 - 挑戦-


間がしばらく空いてしまったが、前回の続き。
今回は大学院入学からケニア派遣に至るまでの流れを述べていく。

2.ケニア滞在直前
その1で出てきた友人の影響は単に私が途上国に興味を持っただけでなく、自分のロールモデルになった事であった。彼は熱いパッションを胸に大学を休学して、初めての飛行機で向かった先はアフリカであった。この前例があったから、途上国へ行く事のハードルが下がり、休学する事が決意で来た。彼のように前例が何もない状態から行動をするというのは困難であると思うが、ロールモデルさえあれば何とかなるものである。

さて、大学院に入学してから私がケニアに行くまでに直面した困難(?) 2つある。

- 休学の申請(修士1年の春、2010)
1つ目が果たして大学院の研究室の先生が私の休学の申し出を受け入れてくれるのかという点である。それはそうである。外部から来た学生がいきなり休学させてくださいというのは普通ではない。
なので、拒否される可能性を想定しつつ、不安になりながらも先生に私の想いを伝える事にした。結果、意外にも先生は快く休学を許可してくれた。これは本当に先生の考え方によって結果が変わってくるはずなので、私の提案を受けいれてくれた日野出先生に感謝したいと思う。

- 派遣先の決定(20104-6)
2つ目が派遣先についてである。これは非常に重要である。なぜなら、途上国の受け入れ先がなければただの旅行に終わってしまう可能性があるからである。

しかし、アフリカに行きたいという強い想いはあったが、では"実際に現地に行って何をやりたいのか?"という質問に答える事のできる具体的なアイデアは全くなかった。

そこで、考えたのが既に現地で動いているプロジェクトにボランティアとして参加するという事である。例えば、世界を変えるデザインに載っているケニアのKickStartではインターンシップを受けいれている。
さて、受け入れてくれそうな団体を探している最中に、知り合いを通して幸運にもシエラレオネで活動しているオランダの学生団体と連絡を取る事ができた。しかも、偶然にもメンバーの一人がたまたま京都大学に短期留学していたので、京都で話す事になった。そして、拙い英語でなんとか私の想いを伝え、彼女がオランダにいるメンバーに私がプロジェクトメンバーとしてシエラレオネで活動できるよう働きかけてくれる事になった。



時を同じくして、適正技術によって途上国支援する米国NPO法人Kopernik中村俊裕氏と出会った。そして、シエラレオネで半年間も滞在するならKopernikのプロジェクトを手伝う事できるのではという話になり、ますますシエラレオネでの活動に期待するようになった。

しかしながら、それから1ヶ月の内になんとこのシエラレオネの話はお蔵入りになってしまった。その理由は、私がシエラレオネでやろうとしているプロジェクト案が現実味に欠け、結果現地で単独で行動できるほどの能力がないとオランダの学生団に判断されたからである(推測)。当初私は現地において、その団体のプロジェクトを手伝う事がメインの仕事だと思っていたが、先方求めてきたのは私が現地で何をやりたいのかという事だった。これは現地でそこまでプロジェクトに関係したタスクがなく、何か新しい活動が求められている事が背景にあり、そして同時に私の実力を測るものであると推測した。

当時は途上国経験がなくどんな問題を抱え、どのようなニーズがあるのか見当もつかなかった私はとりあえず限られた時間でアイデアを考え、それを提案した。今考えれば相当イケていない案であったが。結果、上記の悲しい結果になってしまった。この時点でアフリカ行きまで残り3カ月ほどであった。

このような状況で自体が好転したのはKopernikの中村俊裕氏の協力のおかげであった。シエラレオネの件を伝え、Kopernikの活動をメインでしたいという事を伝えると、この提案を承諾してくれて、プロジェクトサイトの候補地を2か所(ケニアと東ティモール) 挙げてくれた。アフリカに興味があった私はケニアを選ぶ事にした。具体的な活動内容は西ケニアの非電化地域の村に導入されたSolar lanternがどのように人々の生活を変えているのかを調査する事にあった。
その後、ケニアのカウンターパートとのメールが始まり、ケニア滞在の日が刻々と近づくのであった。



【まとめ】
Kopernikとの出会い⇒ケニア非電化地域にてSolar lanternの調査を行う事が決定。

次回に続く。

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