2012年4月27日金曜日

途上国×技術×キャリア その1 - キッカケ-



先日、無事就職活動を終わらす事ができた。
大学2年の時から将来について少しずつ考えるようになり、ここ数年は悩みもがいた事を考えると、非常に感慨深いものがある。

右も左も分からない状態から始まり、様々な魅力的な人と出会い、様々な気付きを得てきた。段々と自分の興味分野が定まってきた後は、自分の足を動かし、そのフィールドに詳しい人の話を聞いたり、生の情報を取りに行ったりした。
結果、自分が達成したいゴールの設定、どのような専門性を持って目標達成をしたいのかがはっきりし、就職活動においても自分の情熱が面接官にも伝わった。これは後で述べる自分の実体験に基づいた意思決定してきた事が大きい。

さて、このエントリーでは私がどう悩んで行動をしてきたのかを以下の2つの目的から書こうと思う。

1.    初心忘るべからず
私は就職活動で情熱を切り口にアピールをしていたが、今後、この熱い情熱が冷める可能性があると考えている。そこで、辛くなった時、自分を見失った時、情熱が冷めそうになった時に、このエントリーは私の情熱をブーストしてくれる原点である。情熱は意外に冷めやすいものである。幾ら熱い情熱を持っていても、入社して日々の業務に忙殺され、何のために働いているのかさえ分からなくなってしまう。既に働いている熱い情熱を持った友人でさえ、仕事の多さに情熱が冷めつつある現状を目の当たりにした。これは、1年、5年、10年後の自分に対するメッセージである。

2.   後輩へのロールモデル
途上国×技術で将来働きたい人に、少しでも将来の進路として参考になるように、私がどう悩み行動をとって来たのかのプロセスを共有したいと言うのが2つ目の目的である。途上国×技術での私の唯一のロールモデルはMITD-Labでインストラクターをしていた遠藤謙さんだけであった。遠藤謙さんは、MITD-Labでインドの貧しい人々にでもリーチできる義足を開発するプロジェクトを行っていた。遠藤謙さんのプレゼンを数回聞いたが、何回聞いてもとても素晴らしく自分もいつか遠藤謙さんみたいな人になりたいと思っていた。しかしながら、遠藤謙さんのバックグランド(機械工学・制御工学等)と比較して、私のバックグランドまたはスキル(電気・電子)で果たして遠藤謙さんのように適正技術の開発に関われる事ができるのだろうかというと猛烈に悩んだ。ここで、もし遠藤謙さんだけではなく、もっと違う専門性を持って途上国×技術に関わっている人がいたらきっともっと視野を広く物事を考えるだろうと思った。そこで、私は後で述べるサプライチェーンという専門性を持って途上国×技術に貢献できる後輩にとってのロールモデルになりたいと考えている。


-------------------軌跡---------------------
さて、ここからは時間を追って、私の思いがどういう出来事によって変わって、最終的にどのような手段をとるに至ったかを考える事にしたいと思う。4年ほどの流れを書くので、5つくらいのエントリーに分けて書きます。

1. キッカケ
- 友人 (大学3年生の秋、2008)
時間は約4年前に戻る。私が大学3年生の時。最初はもともと途上国に関心はなかった。
キッカケは、体育でたまたま出会った友人の影響だった。詳しくはこのリンクで述べているが、最初に彼に会って衝撃を覚えた。彼ほど熱い情熱(途上国の問題を解決したい)を持っている人(同年代の友人)に出会った事がなく、彼を心の底から尊敬をした。そこで、私がした事は、彼の気を引く為(共通の話題を作る為)、途上国関連の本を読みあさる事にした。それまで途上国の問題に関心がなかったのにでもある。
当時、私は将来について悩んでいてゴール設定が出来ていなかった事も途上国に関心を持つようになった一つの要因かもしれない。友人は所謂文系であった為、理系である私が途上国の問題に貢献できるとしたら技術だろうと考えていた。そこで、4年生になって、私はもっと途上国の問題に関われる、また研究できるような他大学への大学院進学について考えるようになった。

- 世界を変えるデザイン(大学4年生の秋、2009)
悩んだ結果、大学院は筑波大学から途上国×技術が学べる、研究できる東京工業大学に移る事にした。(筑波大学と東工大は院試の日程が被っており、一種の賭けではあった。) 無事入試に合格したが、当時の私には、途上国×技術というと国際協力でやられているようなインフラ整備 (道路、橋、井戸等) のイメージしかできなかった為、これに人生を懸けようと決心できず、モヤモヤ感があった。しかし、たまたま本屋さんで手に取った世界を変えるデザインという本に出会ってから一気に視野が開けた。それまで、途上国×技術というと途上国政府が関わるような規模の大きいインフラのようなものしかイメージしていなかったが(B to B)、この本と出合ってから、直接困っている人にアプローチするB to Cの方法もあるという事に気付かされた。これこそ、まさに自分がしたい事であると思った。そして、ここから自分は適正技術に関わりたいと思うようになった。


- 世界を変えるデザイン展 (修士1年の春、2010)
世界を変えるデザインが発売されてから約1年後、世界を変えるデザイン展が開催される事になった。私は幸運にも、自分の足を動かした結果、主催者側のお手伝いとして世界を変えるデザイン展に関わる事ができた。これが当時の自分にとって大きな出来事となった。それは、適正技術の展示と同時に行われていた講演にあった。オランダの大学TU DelftAssistant professorをしているJCの講演で、TU Delftの学生が行っているプロジェクトに衝撃を覚えたのである。大学生でも適正技術を開発して、途上国でプロジェクトを回す事ができるんだ。
今まで、どのような形で適正技術に関わって良いか分からなかったが、この講演によって
TU Delftに留学して、適正技術に関わるという一つの道筋が見えた。ここから、TU Delftに魅力を感じ、TU Delftへの学位留学を選択肢の一つとして真剣に考えるようになった。

【まとめ】
- 友人との出会い  技術を通して途上国問題解決貢献に興味を持つ。
- 世界を変えるデザインとの出会い  適正技術がその手段であると確信する。
- 世界を変えるデザイン展に参加 TU Delftに学位留学して、適正技術を生み出したいと真剣に思うようになる。

次回につづく